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帰国後:スピリチュアルショッピング

   スイスから帰国後、女性外来の傍ら、飽きもせずスピリチュアル探訪を続けた。以下に私が受講した幾つかのセミナーや講座をピックアップしてみた。

*レイキ:男性レイキヒーラーから受講を受けた
 1回の受講でレベル1-3まで伝授してもらった・・・シンボルの使い方を教えてもらったが、なんでシンボルを使うのかを教えてもらえず・・・何を聞いても、適切な答えが返ってこず、私が求めていたものに応えてくれるものではないと感じられた。
 後に、主人に聞いてみると、彼のバックには「魔」が暗躍していると言われたが、当時の私は、それが正確に何を意味するのか分からす、思わず「魔って何ですか」って、主人に聞き返したところ、ニコニコしながら、「ア ク マ 悪魔」と教えてくれた(* ̄ー ̄) あぁ~、あの時の衝撃は今でも忘れられない(--;)
 主人には、レイキエネルギーもそうだけど、世の中に存在するヒーリングエネルギーの質にはピンからキリまで様々なものが存在するが、あなたは、キリの方のエネルギーに縁したねと、私の馬鹿さ加減を一言でばっさり根こそぎほかされた(^^;
 実際、その後の1-2年間、その男性ヒーラーのバックで暗躍するネガティブエネルギー存在にがっつりしごかれ、身をもってその怖さやしつこさを知った(高級神霊は一般的には、願ってもいない本人の前にごり押しで、出張ってくることはないです)。

*セミナー:リーデングで有名な某氏が、主催したセミナーに一回だけ参加した。彼自身は洗練されていて、セミナーは面白かったし、実技でも色んなパフォーマンスを見せてくれたが・・・ピンと来るものはなかったような気がした(^^;
 後に主人に聞くと、彼は確かに霊能力を持っているが、バックにはチベット仏教系の宗教霊のエネルギーを感じるねと・・・

*クレアボイアンススクール:
 霊視で有名なアメリカ人女性が、日本で主催したスクール。私が受講を申し込んだ年は、スクール最後の年だったようである。一年間のコースで受講を申し込んだが、最初の数か月間は、月に二回(3泊4日)ほど東京で開催される講座(実技も含めて)をひたすら受け続けた。
 主催者は「観えたものは信じたらよい」と教えていたが、それに対して納得ができなかった。というのは、昔読み漁った書物の中で、禅の世界で、師匠は弟子に「観えたものに取り組んではいけない」と戒めているのに、簡単にそういうふうに信じてもよいと言っているのが信じられなくて・・しかも、何の根拠もなしに・・
 今になって、私は自分の馬鹿さ加減を悔いて嘆いている。というのは、私はそういうことを知っていたはずなのに・・・ただ、その時、私は、その本質をわかっていなかったがために、そういう状態(霊視の能力開発に興味をもち、実技講義などを受けていた)に陥っていたのだ!! その時のスクールの同期を見渡してみても、わかっている人は皆無に近かった。無知の状態で知らず知らずのうちに、ネガティブエネルギーに縁するのはなんと恐ろしいことか・・・
 スクールで教えていることに疑問をもったが、答えてくれる人がいないため、その答えを教えてくれる人を自分で探すしかないと思った。ネットで何日も探し続けるうちに、気になるHPにたどり着いた(^^)そこに書いてある記事はどれも興味深く(理解できないものは無視)、仏教かぶれしていた私には、わかりやすかった。霊視などの能力開発よりも、認識アップを重視しているように感じられて、親近感がわいた。まさに私が探し求めていたもののように感じられた。
 よし、HP主催者に一回会って話を聞いてみようと思った。連絡をとり、実際に会ってみると、普通の中年男性だった。しかし、私がどんな質問をしても、はぐらかさずに、真摯に答えてくれた。今まで出会ったスピ系の人たちとは、明らかに違っていた。この人のセミナーなら受けてもためになるかなと思った(しかも、セミナー料金が安い^^・・・今まで受けたセミナー料金は少なくとも2-3倍のお値段はしていた)
 まずは、波動チェックセミナーを受けてはと勧められた。自分を知るにはよいのではとのことだった。
 実際そのセミナーを受けてみたが、自分自身の波動、身の回りの色んなものの波動、自分の心のマイナス傾向性、自分の認識などを調べるにはもってこいのツールのように思えた。また、波動チェックセミナーで使用するアナライズ盤は、色んなことに応用できるので、使い方によっては、いくらでも自分の認識拡大につなげることができると思った(^^)

 もう一つ特筆すべきことがある。私は若いころから、右半身のしびれという症状に苦しめられていた。西洋医学では、原因不明とされていたが、多次元的に観たら、両親の生霊とわかり、主人に対処してもらったところ、あっさりよくなった。この時に初めて、西洋医学では教えてもらったことがない、多次元的障害とはどういうものかの一端を垣間見せてもらったような気がした。
 その後も、自分や知人友人の訴える不調や事象の背後に、様々な種類の多次元的障害(霊障、カー障害(自分が今まで縁したネガティブエネルギーのことが多い)、肉体先祖のカルマ、自分自身の霊的カルマなど)が関与していることがわかり、しかるべき対処をすることで、症状が改善するのを経験した(^^)これは、今までに学んだ、西洋医学や東洋医学ではカバーできない領域で、今後少しずつ認知されていくことを願ってやまない・・・
 私は、現在も多次元世界、多次元ボディ、多次元的障害などについて学び続けている。日々新しい発見があって充実感を噛みしめている・・・日々進化し続けたいと思っている!!

 迷っていた時、私を導いてくれた波動チェックの中年男性は、今の主人になっているなんて・・・縁の不思議を感じずにはいられない(主人曰く、未来世からのご縁と(過去生、現世を超えたところの未来世の出会いがあることを初めて知った・・・) 最後にカミングアウトしちゃった(^^;
 
2018年03月08日 05:00

スイス留学時代

  スイスへ留学する前、日本で約1年間の分析を受けていた間に、ユング心理学の日本での第一人者である河合隼雄先生とマリー・ルイーズ・フォン・フランツ先生(ユングの愛弟子の一人。すでに他界していましたが、個人的に大ファンで、手に入る彼女の著書は全部英語で読みました)の著書をよく読んで勉強しました。自分の周りの人間関係や患者さんなどの心理を読み解くのに、かなり役に立ちました(^^)この時は、ユング心理学はなんて面白いんだろう・・・もっと勉強したいなと思いました。

 スイスでは、学校(ISAP)でユング心理学の勉強(興味のある授業を選択して受講するというスタイル)をする一方で、ユング派分析家との分析セッションを持ちました(これが一番大事なことです)。

 ユング派の分析家達は、個性豊かなバックグラウンド(精神科医、心理カウンセラー以外では、物理学者、銀行マン、システムエンジニア、大学の先生などなど)を持っている人が多かったので、かなりの期待を胸に授業に臨んだが、斬新で知的好奇心を刺激するような授業に巡り合えず・・・また、新しい分析家との分析も自分の中をさらに掘り下げているように感じられず・・・もやもやしたものが心の中に溜まっていきました。

 それでも、最初の学期中(3か月間)、淡い期待を胸に、気になる先生の授業やセッションを受け続けました・・・数か月たっても状況が改善されないので、どうしてかなとよく考えてみたら・・・西洋人であるユング(ユング自身は霊的感性がかなりある方でした)が、統合失調症の患者の診察、分析を通して得た気づきに、西洋の錬金術と東洋思想(易教や禅:鈴木大拙先生の影響)を取り入れて、ユング心理学(ユングは自分自身を知りたくて使用していた方法を、勉強したいと周りに集まった人たちに、分析を通して教えていたが・・・そのうち、ユング研究所を作ったらどうかと弟子が言い出して・・・紆余曲折を経て、ユング研究所ができたようです。入学条件はかなり厳しく・・・修士以上の学歴と数年間の職歴、ユング派分析家との1年間のセッションが最低条件で・・・)を形作りましたが・・・

 現代の分析家たちは、それをどんな現象にも安易に当てはめようとして、職業分析家になりさがってしまって、二言目には『ユングはこのように言っていた』『ユングは・・・』とか言い出すので・・・ユング心理学に発展性が感じられなくて、もっと正確に言えばユング心理学を通しての自己探求には限界があると感じられました・・・

 とっ、ここで、開き直って、スイスでの滞在が許される限り・・自分の好きなことをしようと思いました・・それまでに溜まった疲労をとるためにも休息が必要と思って・・・食事や入浴、友達との外出、分析以外の時間をほとんど自分の内面探求に使いました!インターネットで海外の思想家、グル、退行催眠療法(前世療法など)、台湾の僧侶の講座、物理学理論などを、時間が許す限り、勉強し続けました・・自分でも驚くほどやってました!

 この時期は、普通に食べていたのに(友達と外食したときは、かなり高カロリーのものもよく食べていたのに)、なぜかどんどん痩せていきました・・・人生の中でもマックスの痩せを経験しました(後に主人に聞いたところ、親の生霊や色んな憑依でエネルギーをかなり抜かれていたと…(^^;(縁するものには気を付けなくっちゃね・・・でもこういうことは誰も教えてくれないのよね(^^;))

 勉強に飽きてきた頃、せっかくスイスに居るんだからと思い・・・時間とお金の許す限り、ヨーロッパ中を旅して回りました・・・各国を時間をかけてゆっくり巡ることができ、贅沢で濃密な時間を友人や家族と過ごすことができました・・・

 予定していた勉強よりも、もっと大きな勉強をさせてもらえたような気がしました・・・充電もできましたので・・さて、いよいよ帰国です!
2018年03月08日 01:00

大学院時代

 大学院生になったら、時間的に余裕ができて、精神的にも少し楽になるのかなと思っていましたが・・・

   いざ、大学院生の生活が始まってみると、想像していたものと随分と違っていて、最初はかなり戸惑いました・・・臨床に加え、研究をこなさなければいけなくなり、その合間に大学院の学費と生活費を稼ぐためのアルバイトもしなければいけない・・・勤務医とは違った意味で忙しくてタフな日々が始まりました。

 私は動物実験が苦手なので、細胞を使った研究をさせてもらいました。内分泌内科(なぜ内分泌を選んだかというと・・・実は大学生の時から仏教やグンダリ―ニーヨガに興味があって、チャクラシステムと内分泌腺の関係がわかったら面白いなぁと漠然と考えていた時期がありました・・・その後、何のご縁かわかりませんが、たまたま内分泌内科の先生に声をかけられて、そのまま内分泌内科を専攻することに・・・)を専攻していましたので、内分泌腺の中の副腎という臓器の細胞を主に使って実験を行いました。内分泌は臨床と研究が比較的近い距離にあるため、臨床で感じた疑問を実験で検証し、実験で得られた結果を臨床へ応用することができましたので、研究期間中はかなり充実した時間を過ごせました・・・

 研究はトントン拍子に進み、優秀なボスのお陰もあって、あっという間に博士論文(ラットの褐色腫細胞を使って、副腎の皮質と髄質の連関に関して論文を書きました)が出来上がって、予定よりも早く博士号を取得できました・・・

 研究の話のついでに、STAP細胞騒動で世間を騒がせた小保方さんの研究結果のその後について、少し触れてみたいと思います・・・あの騒動の後、なんとハーバードは早々とSTAP細胞に関する特許を世界数十カ国で取得していたのでした。そして、STAP細胞の存在は、ドイツの研究チームや他の国の研究者によって裏付けられ(研究条件や細胞などを少し変更していますが・・・彼女のやったやり方を踏まえた実験であることは確かで・・)、素晴らしい結果が次々と発表されています・・・にもかかわらず、日本のマスコミはそのことに触れず、小保方さんの名誉が回復されていないのが残念でなりません・・・彼女の研究結果の呈示の仕方に問題はあったにせよ、結果そのものの評価はしっかりなされるべきだと思います!何もかもが捏造されたみたいな印象を世間に与えた報道は大いに問題ありです(* ̄ー ̄) あの騒動後、主人はブログで2年後には、彼女のやったことが証明されるだろうと書いていましたが、本当にその通りになりました・・・研究に少しでも携ったことがある者として、研究のための研究(論文や博士号、立身出世のための研究ではなくて…)をされた小保方さんの苦労が報われたような気がしてなりません・・・彼女には今後も活躍して頂きたいと心底思っています(^0^)今でも応援しています(^^)

 話が少し脱線しましたが・・・とここで、臨床、研究を一通りやってみて、これから先何をやっていこうかなと考えるようになりました。

 大学院卒業後の進路として、大学に残って臨床をしながら研究を行うか、市中病院へ出て常勤医として働くかの二つの選択肢がありましたが・・・私はそのどちらも選択したくありませんでした・・・というのは、あるボスの下での研究に従事するとなると、研究は論文を書くための研究になり下がっていることが多く、自分の自由裁量での研究ができない限り時間と研究費の無駄に思えたからです。二つ目の選択肢をとると、また研修医時代のような忙しい日々の中に埋没していく気がして・・・結局、私は自分が何をやりたいのかを見つけられない状態でいました。

 また、自分のこともよくわからないと思いましたので、まず自分のことを知りたいと思いました。そこで、学生の時に、興味のあったユング心理学を思い出し、ユング派の分析家を見つけることにしました。運よく当時私が住んでいた町に、女性のユング派分析家(彼女はスイスでユング派分析家の資格を取得したばかりで、広島から私の町のクリニックに週に一回カウンセリングに来ていました)を見つけることが出来、彼女との分析を始めました・・・。分析は夢分析を通して行われました。興味深い夢をみては、それを分析家と話し合いました。分析が進んで行くうちに、スイスに行って、ユング心理学を勉強して来ようと思うようになりました。自己探求を深めるとともに、将来の自分の仕事にも役立つだろうと思ったからです。そこで、大学院を卒業すると同時に、スイスへ留学することになりました。

 実は、大学院生になった頃から、私は臨床、研究と二つのことをこなさなければいけなくなり、従来のやり方では疲労が蓄積し、注意力が散漫になるので、何かいい方法はないかと模索していくうちに、禅的境地で仕事や研究をすればよいのではないかと思いつきました(学生時代や研修医時代に仏教の本や禅の本をよく読んでいましたので・・・)。

 仕事や研究をするとき、雑念を払う感じでなるべく無の境地になるように仕事に取り組みました・・・・すると、疲れが減り、集中力が増し、物事を処理する能力が飛躍的に伸びました。この頃から、不思議な体験が次から次へと起こり始めました・・・バイト先の病院での出来事が多いのですが・・・急に患者さんの病気がわかったり・・・患者さんがいつ亡くなるのかがわかるようになったり・・・患者さんがなくなって体から抜け出て私にサインを送っているのが判ったり・・・などなど・・・大学院生の間に起きたこういった出来事も私のその後の進路を決めるうえで大きな決め手となりました(詳しい内容はスピリチュアル体験で書きます。そちらも読んで頂けましたら嬉しいです。
2018年03月08日 00:00

研修医時代

  卒業後、兎に角忙しいことで有名な某総合病院(香川県にある病床数500弱の有名な総合病院)での研修が始まりました。医師として、忙しくても充実した研修を受けたいと思い、関連病院の中でも指折りの忙しさで有名なその病院を選びました。(この病院で研修を終えた先生たちは実力がつき、その後、どこの病院へ赴任されても、やっていけるとのうわさがあって、それならと思い、その病院を選びました)。

 厚生労働省が定めた初期研修システムの開始一年前にも関わらず、大学と研修病院が新しいシステムに対応するため、私たちの学年でまず、新しいシステムに準じた研修プログラムが機能するかどうかを試すことになりました(^^;それまでは、研修システムがしっかりした病院以外は、研修システムなるものはほとんど存在せず、各病院各科各指導医まかせで・・・非常に個性豊かな研修が行われていたものと想像されます!私たちの学年のフィードバックで、関連病院の研修システムが改善されたことは言うまでもありません(^^;研修システムなるものが出来上がる前は、結構ワイルドに研修ができたと聞きましたが、研修システムの確立とともに、医療訴訟の増加も拍車をかけたかもしれませんが、研修医が身につけなければいけない手技が、どんどん制限されていき・・・成れの果てが、電子カルテ入力に追われ、患者と目を合わさない、自分の専門以外の診察をしない(?)、診察ができない(?)医師が増えたような気がします(診察時間が足りなくて、していないのかも(^^;

 内科医を目指しましたが、外科、麻酔科、精神科、地域医療、小児科、脳神経外科などもローテートし、一通りの知識と手技を身に着けました。一日の平均睡眠時間は2-4時間程度で、土日も休むことなく働き続けました。

 最初の三年間は日々の医療の中に忙殺され(この三年間は、四季の変化を感じることなく、建物の中で時間が過ぎていきました・・・医者である以前に人間であることを否定されているように感じられました。人助けという美名のもとで、労働基準法の規制対象外の非労働者として扱われ、過労死基準の何倍もの労働時間(ほとんどタダ働きに近い)は当たり前…ただの善意を無私なる崇高な精神に鍛え上げられた(?)ような気が…)医師として目覚ましい成長を遂げましたが、自分自身の生命が削られていくのを感じました。困っている患者さんがいたら何とか助けたいという思いをもって働きましたが、本当の意味で良くなっていく患者さんは多くないことに気づき、医者としての限界を感じると同時に、自分は医者としてどうあるべきかを考えるようになりました。

 研修最後の年に、大学の先生に大学院生にならないかと声をかけられ、臨床を深めるための研究をしないかと誘われました。臨床に疲れたこともありますが、今まで自分が研修で身に着けたものをもう一度じっくり勉強したいとの思いと、臨床に結び付く研究ならやってもよいと思いましたので、大学院へ進むことに決めました。
 
2018年03月02日 02:00

大学時代

 浪人時代に、色んな人と知り合い、色んな軌跡を生きて来た人たちをを見てきたせいか・・・大学に入ってから、同級生たちは幼く感じられ、今一つ刺激が足りないと思いました・・・

 自分の興味のあることは、とにかく何でもチャレンジしたいと思っていましたが、周りにそういう人が少なくて(今思えば、現役で合格した人が多く、燃え尽き症候群になっていたのかも(^^;))、自分のモチベーションをキープするのが大変でした。大学に入ってすぐの頃アメリカに留学したくて、一生懸命英語を勉強しました。

 そして、大学一年生の時に、親友と一緒に、イギリスに語学留学に行きました。海外から集まった学生さん達の、あくなき(どん欲な?)勉学欲に刺激を受け、その後の大学時代の勉強の励みになりました(^^
 
 大学在学中の六年間、ほぼ毎日欠かさず、ラジオのビジネス英語と週1回の英会話(や英文熟読)を根気よく続けたおかげで、英語はかなり上達しました・・・卒業後の博士課程での研究や論文の執筆、さらにはその後のスイス留学では、どれほど役に立ったことか・・・やはり継続は力なりですね(^^;

 学生時代は良き友人に恵まれ、歴史や心理学、美術、芸術などの本を読んでは、よく議論をしました(医学の勉強はそっちのけでしたので、かなり不真面目な学生でした。大きな声では言えませんが、学生時代は、医学の勉強に割いた時間が一番少なかったのかもしれません)。

 友達には外向的に観られていたかもしれませんが、心の底ではいつも孤独感があって、自分とは何者か、なぜここにいるのかを知りたくて、哲学や仏教関係の本などを読み漁りました。

 その答えを見つけられないままに、ある時友人に誘われて四国にお遍路(歩き遍路)に出かけました。この時に、不思議な体験をしました・・・
 
2018年03月02日 01:00

浪人時代

 浪人して初めて、自分に考える余裕ができたような気がしましたが・・・
 最初の一年目は、母校が浪人した学生のための用意したコースに通いました・・・周りに知っている人は多くなかったが、通い慣れた母校ということもあり、安心して勉強に励むことができました。

 それでも、目標に向けての勉学に励まなければいけなくなり、やはりつらかったのを覚えています・・・成績はよく、先生たちも今年こそは大丈夫だろうと思っていたようで・・・その中で迎えたセンター試験では高得点をとり、医学部受験への第一関門を通過したと、先生も私も感じましたが・・・

 医学部受験で、思わぬ罠に引っ掛かり、あえなく二度目の受験の失敗を味わいました・・・試験内容が難しかったわけではなく、試験問題が思っていたよりも簡単だったのに、拍子抜けしたのか・・・解答用紙を確認せずに解答を書いてしまい・・・試験が終わるまでにその間違いに気づかなくて・・・解答用紙を回収にきた試験官に「解答用紙違いますね」(意地悪をせずに、早く教えてよと・・内心思ったが)と言われて初めて間違いに気づいて、目の前が真っ白になったのを今でも覚えています(トラウマはなかなか消えませんね^^;・・・

 その後は、人生初めての予備校(代々木ゼミナール)に通いました・・・自分の中では、かなりの負い目を感じていました!もう失敗は許されないと・・・そして、これを人生最後の受験にしようと、自分の中で決まていました・・・

 普段の成績や模擬試験の点数はよかったが・・・これに甘んじるわけにはいかないと思い、自分の中では、気にしないようにしていました・・・本番で自分の実力を発揮できなければ、何にもならないことを身をもって知っていましたので・・・

 そして、迎えたセンター試験。今度は、意に反しあまり良い点数をとれず・・・周囲に比べ少なくとも100点の遅れをとっていた感じの状況でした・・・その中で迎えた二次試験。自分のベストを尽くしましたが、何ができ何ができなかったのか・・・自己採点では自分の点数をはっきりとわかり・・・今度こそ落ちたと思いました!試験が終わった日には、自分の中では、何もかも決着がついていました・・・ベストを尽くしましたので、今回は悔いは残りませんでしたが、一抹の寂しい思いが心をよぎりました・・・落ちたら、人生初めての滑り止めで合格した、慶応大学(工学部)に進学しようと・・・

 そして、迎えた合格発表の日。自分の中では、落ちたものと思い込んでいたので、結果は、みんなが帰った後、こっそり確認に行こうと決めていましたが、、午前10時ころに、高校時代の先生から電話がかかってきて、いきなり「おめでとう」と・・・最初、何が起きたのかがわからず、「私受かったのですか」と思わず聞き返しました・・・このときは、何もかも報われた気がして、本当にうれしかったです・・・

 この時、両親も妹も喜んでくれましたが・・・親戚や知り合いの人は、何故か反応が冷ややかで、大人の世界を垣間見た感じがして・・・悲しかったのを覚えています(;;)





 
2018年03月02日 00:00

高校時代

 高校受験は、滑り止めも受けずに、進学校の公立高校を1校だけ受験しました。当時は、塾にも通っていませんでしたが、さほど不安にも感じず、それまでの成績が良かったので、受かるだろうと妙な自信がありました・・・

 無事、高校(岡山操山高校)に受かり、ほっと一息をついたのもつかの間(^^;

 この時ばかりは、高校生になると勉強が難しくなると父が口癖のように言っていたのを思い出し、何故か、期待と不安が入り混じった複雑な気持ちを抱いていたのを今でも覚えています(^^;父と母は日本で教育を受けていなかったことに加え、教育熱心でなかったことが、私の不安な気持ちに拍車をかけていたのかも!とにかく呑気で楽天的な両親で・・・放牧に近い感じで、自主性に任されていたような?(^-^;

 初めての自転車通学に始まり・・・何もかもが初めてのような感じで、とにかく勉強についていくのが精いっぱいな感じで・・・高校生なりに疲れていた日々を送っていたを覚えています(^^;

 この時期は、自分のことについて考える余裕があまりなかったです。とにかく、前に突き進むしかないみたいな感じでした・・・周りには、塾に通い自分の目標をはっきりと追及する人が一方で、勉強はそこそこで、自分の好きなことをやっている人もいて(私の中では進学校に、そういう人たちがいることにかなりの驚きを感じていました・・・世間が狭かったのでしょうね(^^;))、、私の中では、自分のリズムがとれない感じでした・・・と言うよりは、何をやりたいのかが、自分の中になかったのが最大の原因だったのかもしれません(--;

 高校生活は、無味乾燥な感じで過ぎていき、学校の先生は成績ばかりを気にしていて・・・あまり楽しかった記憶がありませんでした。成績は、どちらかというと良い方でしたが、結局、やる気が出ず、最初の受験は失敗に終わりました・・・(^^;


 
2018年02月01日 04:00

中学時代

 中学生になった頃には、日本での生活にも大分慣れてきました・・・

 しかし、小学生から中学生になると、それまでの子供の生活が一変し、いきなり大人の世界に飛び込んだように感じられました(^^;一学年上の先輩たちが、すごく大人のように感じられて、「あぁいう感じになりたいなぁ~」と漠然と憧れたり、妙に背伸びしたり・・・

 最初の半年間は余裕がなく、追われるように中学生活を送っていましたが・・・その後、中学生活にも慣れ、運動音痴にも関わらず、何故か陸上部に入って少し頑張ってみようと思ったようですが、半年ほどであえなく挫折し、退部しました・・・

 その後は、帰宅部となり、普通の中学生活を送りました。この頃は、将来は通訳か、研究者になりたいなぁと漠然と考えていました。学校の成績は、中学一年生の後半からグーンと伸び、中学二年生になると、学年でトップになりました。この頃の担任の先生に、将来医師になりたいと思わないのかと聞かれ、その時はじめて、そういう選択肢が自分の中に芽生えました・・・

 この頃、外見上は、普通のおとなしい中学生でしたが、心の中では、二つの言語と二つの文化の間での葛藤が出てきて、精神的にかなりつらかったです。対比するものが、自分の中にあって、自分の立脚点をどこに置けばよいか、「自分は何者なのか」について、よく考えていました。
 
2018年02月01日 03:00

小学校高学年

 日本に来てからは、青天の霹靂のごとく、生活が何もかも一変しました!日本語をまず、勉強しなくてはいけなくなり、半年間ほど日本語学級(小学校の校長先生のご配慮により、非常勤の日本語教師を学校に配置してくれたおかげで、数学の授業以外は、同級生のクラスメートが授業を受けている間、私だけその学級)に通い、日本語を習いました。

 小学校6年生になると、普通学級で勉強をさせられました(私の個人的希望もあって、そのようになったような気がします(^^;)。理数系は得意でしたが、国語の授業などは微妙なニュアンスはつかめず、いつもわかったようなわからないような感じで授業を受けていたのを覚えています。歴史もそれまでの蓄積がありませんでしたので、よくわかりませんでした(^^;)

 成人して後、母がとってあった新聞を偶然見つけ、何気なく見ていたら、日本に帰国して半年ほどたった頃の私の作文が載っているではありませんか・・・作文を書いたことすら覚えていなくて・・・ましてや内容も・・・読んでみると、これを本当に小学生の私が書いたの(?)みたいな硬い文章で、自分の考えや将来の夢などを書いていました・・・我ながら、大人びた子供だなぁと妙に感心してしまいました。

 日本に来てからは、天真爛漫な部分が影を潜め、どこか冷めたような目で、周りや社会を眺めるようになりました。本音と建て前の使い分けができなくて・・今でも苦手ですが(^^; 当時の小学生の私には、なんでそんなものが必要かがわからなくて・・・子供も大人も妙にずるく、不誠実な人たちに思えてなりませんでした!

 いじめがあったり、仲間はずれがあったり、先生の気分次第で八つ当たりされたり・・・小学生なのに、複雑な社会だなと思いました・・・ 
2018年02月01日 02:00

幼少期から小学校5年生まで

    出産の時、母を3日間苦しめていた私ですが、その後はすこぶる良い子だったようです。まったく夜泣きをせず、半年で断乳をしてからは、自分一人で静かに寝るようになり、一歳までには、一通りの言葉をしゃべり(母が言うには、家では親としゃべるが、外では黙って自分で遊んでいたと)、自分のことは自分でやるようになり(自分で着替えたりなどということのようです)、母には「あなたは1歳にして自立していた」とよく言われました!!

 子供のころは、好奇心旺盛で、とにかく外で遊ぶのが大好きなおてんば娘でした。中国で生活していた時、何不自由ない生活だったし、私の人生の中でもかなり幸福感に満ちた時期だったように記憶しています・・・夏休みはいつも祖母の家に遊びに行っては、裏庭に植わっている野菜や果物を当たり前のように食べていました(今思えば、農薬を使用せずに栽培した自然な味を体が覚えているせいで、日本に来てからは、野菜や果物を食べても野菜や果物の味があまりしないことにびっくりし、長い間、不思議に思っていました。後に、その原因がわかりましたが・・・子供だったから、仕方がありませんね(^^;)

 私たち一家は、まさにバブルの真っ盛りのある夏の終わりに祖母と一緒に日本に来ました。当時、私は小学5年生でしたが、日本語は当然わからないし、生活習慣の違いなどから最初は大きなストレスを感じていたように思います(^^;)

 それまでは、祖母が日本人であることは知っていましたが、自分が日本にいくなんて考えたこともありませんでした・・・祖母が病気がちになり、自分の寿命が長くないことを悟ったのか、亡くなったら日本の土に帰りたいとの思いが強かったため、日本帰国を進めていたようです。そこに私たち一家も計画に加わっていました。私は、日本へ渡航する1か月前に、知らされたような気がします・・・友達との別れなども子供の私にはピンときませんでした。それまで何も考えずに呑気に暮らしていたからでしょう(^^;
 
2018年02月01日 01:00