研修医時代

  卒業後、兎に角忙しいことで有名な某総合病院(香川県にある病床数500弱の有名な総合病院)での研修が始まりました。医師として、忙しくても充実した研修を受けたいと思い、関連病院の中でも指折りの忙しさで有名なその病院を選びました。(この病院で研修を終えた先生たちは実力がつき、その後、どこの病院へ赴任されても、やっていけるとのうわさがあって、それならと思い、その病院を選びました)。

 厚生労働省が定めた初期研修システムの開始一年前にも関わらず、大学と研修病院が新しいシステムに対応するため、私たちの学年でまず、新しいシステムに準じた研修プログラムが機能するかどうかを試すことになりました(^^;それまでは、研修システムがしっかりした病院以外は、研修システムなるものはほとんど存在せず、各病院各科各指導医まかせで・・・非常に個性豊かな研修が行われていたものと想像されます!私たちの学年のフィードバックで、関連病院の研修システムが改善されたことは言うまでもありません(^^;研修システムなるものが出来上がる前は、結構ワイルドに研修ができたと聞きましたが、研修システムの確立とともに、医療訴訟の増加も拍車をかけたかもしれませんが、研修医が身につけなければいけない手技が、どんどん制限されていき・・・成れの果てが、電子カルテ入力に追われ、患者と目を合わさない、自分の専門以外の診察をしない(?)、診察ができない(?)医師が増えたような気がします(診察時間が足りなくて、していないのかも(^^;

 内科医を目指しましたが、外科、麻酔科、精神科、地域医療、小児科、脳神経外科などもローテートし、一通りの知識と手技を身に着けました。一日の平均睡眠時間は2-4時間程度で、土日も休むことなく働き続けました。

 最初の三年間は日々の医療の中に忙殺され(この三年間は、四季の変化を感じることなく、建物の中で時間が過ぎていきました・・・医者である以前に人間であることを否定されているように感じられました。人助けという美名のもとで、労働基準法の規制対象外の非労働者として扱われ、過労死基準の何倍もの労働時間(ほとんどタダ働きに近い)は当たり前…ただの善意を無私なる崇高な精神に鍛え上げられた(?)ような気が…)医師として目覚ましい成長を遂げましたが、自分自身の生命が削られていくのを感じました。困っている患者さんがいたら何とか助けたいという思いをもって働きましたが、本当の意味で良くなっていく患者さんは多くないことに気づき、医者としての限界を感じると同時に、自分は医者としてどうあるべきかを考えるようになりました。

 研修最後の年に、大学の先生に大学院生にならないかと声をかけられ、臨床を深めるための研究をしないかと誘われました。臨床に疲れたこともありますが、今まで自分が研修で身に着けたものをもう一度じっくり勉強したいとの思いと、臨床に結び付く研究ならやってもよいと思いましたので、大学院へ進むことに決めました。
 
2018年03月02日 02:00