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生まれ

 私は、旧満州の中国遼寧省に生まれました。その直接的な縁を作ったのは?、母方の祖母でした。

 日本人である祖母は、実家が裕福であったにもかかわらず、家族の反対を押し切って、何故か日中戦争開始半年前に友人と二人で中国に渡ってしまいました。御年17-18才だったらしいです(^^; 祖母はかなり変わり者だったことを後年知ることになりますが・・・

 中国に渡った祖母は、移動中乗っていた列車が爆破されてしまい、生き残ったのは祖母一人だったと後年聞かされました(ご友人もその時に亡くなり、一人ぼっちになってしまったようです)。偶然、死体を検視する作業に刈りだされた、中国人男性(後に祖父となる方)に、虫の息であるところを発見され、死体の山の中から救いだされ、小屋の中に匿われ、懸命に看病をしてもらったおかげか、祖母は半年かかって、ようやく回復したとのことです(この間、マラリアにもかかったが、それも何とか乗り切ったとのことでした・・・これも後に判明したことですが、祖母は鎌状赤血球をもっていたおかげでマラリアにかかっても命を落とさずに済んだようです(アフリカの人は、マラリアにかかってもなくならないのは、多くの人が鎌状赤血球をもっているからです)。

 元気になった祖母に、すぐに日本に帰るように未来の祖父が諭しましたが・・・これまたどうしたことか、祖母は村一番のイケ面である命の恩人である祖父に一目ぼれしてしまい、日本に還らずにあなたと結婚すると言ったそうです。17-18歳の祖母は中国語などわかりようもなかったし・・・これから敵国同士になるというのに、すごい勇気だなと・・・

 そういうわけで、祖母と祖父の間に、一年後に母が生まれました・・・不幸なことに、母が生まれて半年後に祖父は戦争で帰らぬ人となりました。

 祖母は生きていくため、二番目の夫となる方と再婚し、母は祖父母のもとで育てられました。

 祖母と祖父との間に、交わされた約束があったことは後に母から聞かされました!祖父は、祖母に「戦争が終わったら、あなたの国(日本)に行ってみたいし、二人の間の子供は何があっても必ず連れて行ってほしい」と言われたそうです・・・この約束は、祖母が私たち一家を連れて、日本に帰国したときに果たされたようです・・・

 ドラマチックな祖母のドラマのお陰で、母が生まれ、中国人の父と出会い、その間に私が生まれたわけです(^^;)めでたしめでたしと言いたいところですが・・・出産の時、なんと私は三日間も出てこなくて母を苦しめたようです(^^; なのに、生まれてくると、これでもかと言わんばかりに両目から大粒の涙を流していたそうです(母は産婦人科の先生に、他の子どもはウソ泣きをして、涙を流さないのに、この子は本当に泣いているわね・・・珍しいわねと言われたそうです(^^;私もよっぽど苦しかったのか、それともこの世に出てきたことに対して本当に涙を流していたのかは定かではないが・・・

 何はともあれ、無事にこの世に生まれてきました(^^;
2018年02月01日 00:00