浪人時代

 浪人して初めて、自分に考える余裕ができたような気がしましたが・・・
 最初の一年目は、母校が浪人した学生のための用意したコースに通いました・・・周りに知っている人は多くなかったが、通い慣れた母校ということもあり、安心して勉強に励むことができました。

 それでも、目標に向けての勉学に励まなければいけなくなり、やはりつらかったのを覚えています・・・成績はよく、先生たちも今年こそは大丈夫だろうと思っていたようで・・・その中で迎えたセンター試験では高得点をとり、医学部受験への第一関門を通過したと、先生も私も感じましたが・・・

 医学部受験で、思わぬ罠に引っ掛かり、あえなく二度目の受験の失敗を味わいました・・・試験内容が難しかったわけではなく、試験問題が思っていたよりも簡単だったのに、拍子抜けしたのか・・・解答用紙を確認せずに解答を書いてしまい・・・試験が終わるまでにその間違いに気づかなくて・・・解答用紙を回収にきた試験官に「解答用紙違いますね」(意地悪をせずに、早く教えてよと・・内心思ったが)と言われて初めて間違いに気づいて、目の前が真っ白になったのを今でも覚えています(トラウマはなかなか消えませんね^^;・・・

 その後は、人生初めての予備校(代々木ゼミナール)に通いました・・・自分の中では、かなりの負い目を感じていました!もう失敗は許されないと・・・そして、これを人生最後の受験にしようと、自分の中で決まていました・・・

 普段の成績や模擬試験の点数はよかったが・・・これに甘んじるわけにはいかないと思い、自分の中では、気にしないようにしていました・・・本番で自分の実力を発揮できなければ、何にもならないことを身をもって知っていましたので・・・

 そして、迎えたセンター試験。今度は、意に反しあまり良い点数をとれず・・・周囲に比べ少なくとも100点の遅れをとっていた感じの状況でした・・・その中で迎えた二次試験。自分のベストを尽くしましたが、何ができ何ができなかったのか・・・自己採点では自分の点数をはっきりとわかり・・・今度こそ落ちたと思いました!試験が終わった日には、自分の中では、何もかも決着がついていました・・・ベストを尽くしましたので、今回は悔いは残りませんでしたが、一抹の寂しい思いが心をよぎりました・・・落ちたら、人生初めての滑り止めで合格した、慶応大学(工学部)に進学しようと・・・

 そして、迎えた合格発表の日。自分の中では、落ちたものと思い込んでいたので、結果は、みんなが帰った後、こっそり確認に行こうと決めていましたが、、午前10時ころに、高校時代の先生から電話がかかってきて、いきなり「おめでとう」と・・・最初、何が起きたのかがわからず、「私受かったのですか」と思わず聞き返しました・・・このときは、何もかも報われた気がして、本当にうれしかったです・・・

 この時、両親も妹も喜んでくれましたが・・・親戚や知り合いの人は、何故か反応が冷ややかで、大人の世界を垣間見た感じがして・・・悲しかったのを覚えています(;;)





 
2018年03月02日 00:00