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死生観の転換(ある患者さんとの体験を通して)その一

 私は、これまで数十人の患者さんのご臨終に立ち会ったが、その中のある患者さんとのエピソードを通して、私の「死生観」が変わった。

 

 医師は、肉体が「生」から「死」へ移る瞬間に立ち会うのが仕事の一つである。その患者さんとの体験を経験するまで、医師の仕事の中で、臨終に立ち会うのが、私にとって一番苦痛に満ちたことだった。できれば、やりたくないといつも思っていた!というのは、私の場合、一番最初に受け持った患者さんのなくなられ方が、余りにも衝撃的すぎて、今でも「臨終の顔」が忘れられないくらい、心の中にトラウマに近いものが残ったからである!!

 

 それからの私はどうしたかというと、臨終に立ち会いたくないから、とにかく患者を生かすように努力した!患者の病気の診断と治療には、並々ならね心血を注いだ。最初の研修病院では、病気の診断がつかない患者さんが紹介されてくると、何故か私が受け持ちになることが多かった!病院での仕事が終わって、夜中0時を回ると、いつも病院の図書館に籠って、病気の診断に結び付くようなものはないかと文献や医学雑誌を読み漁った!そのお陰もあって、珍しい病気がよく見つかった!診断がつけば、治療に繋げることが出来る。このようにして、私が受け持った患者さんたちは、元気になって退院される方が多かった!誇らしかった!この時期は、人の命を助け、活かしていくのが自分の使命のように感じられた。

 

 つづく・・・

2018年12月18日 17:10

四国遍路 お大師様に助けられた?

 大学の親友と冗談半分で、四国の八十八か所を歩いてみたいねと言っていたが、まさか、その友人がお遍路に本当に誘ってくるとは思っていなかった。ある時、いついつ行こうよと言われ、私も軽い気持ちでいいよと応じてしまい、ほぼ準備皆無で、1週間後に初めてのお遍路に出かけた。

 

 徳島県の第一番目のお寺から順打ちで歩くことに決め、最初のお寺で、お遍路に必要な最小限のものをすべてそろえた。何もかも初めてのことで、お参りの作法もよくわからず、最初のお寺でお坊さんに丁寧に教えてもらった。各お寺で「般若心経」も一生懸命あげた・・・私たちは、大学5年生の時に、歩き遍路を始めたので、休みは多く取れず、いつも2泊3日の短期遍路をしていた。

 

 何回目のお遍路のときか忘れたが、ある時、大雨が降った翌日に、歩き遍路に出かけた。遍路ころがしで有名な難所を歩く予定だったにも関わらず、十分な下調べもせずに、山の中の宿をさっさと予約してしまった(^^;

 

 さて、入山という時に、下山してきた健脚そうな中年男性二人に遭遇し、声をかけられた。雨が降った後で、土がぬかるんでいることに加え、健脚の人でも、今の時間(午後2時半ころ)から入山し、暗くなる前に、宿につけるかどうかわからないから、引きかえした方がよいと忠告してくれた。宿を予約しているからどうしてもいかなければいけないとおじさんたちに告げ、私たちは入山した。おじさん二人は、心配そうな顔をして、「気を付けて」と言葉をかけて、私たちを見送ってくれたが、この時内心、おじさん何を言ってるんだ、私たちは足に自信があるし、歩き遍路をしてきたから大丈夫だよ。余計なお節介をしないでよねと思ってしまった(^^;

 

 ところが、入山してしばらく歩くうちに、おじさんたちの忠告が頭をよぎり、しまったと思ったが、時すでに遅し・・・ぬかるんでいる土では、思うように歩けないし、すぐに足を滑らすし・・・一生懸命歩いても、思うように距離を伸ばせない・・・でも今更引き戻せない・・・歩くしかないとあきらめて友人と二人で黙々と歩き続けた・・・

 

 気がついたら、日が暮れ(山の中では早く日が暮れるようだ)、遠くから獣の鳴き声が聞こえてきて・・・思わず身震いした(^^;宿への到着の遅れは必至。早く電話をかけて宿の主人に知らせてあげなくてはと焦るが、電波が入らないーー;

 

 足の疲れもピークに達し、もう歩けそうにない・・・精神的に限界かも!!と思いながら、歩いていたら、
「自分はなんでこんなにしんどいことをしているんだ」「もうこれ以上歩けない」・・・、自己卑下、自己憐憫、他人への攻撃や責任の擦り付けなどなど・・・歩くときは自分と向き合う時でもあって、色んな思いが心の中を駆け巡った。

 

 でも、よく考えてみると、私は多くの存在に助けられてきたんだということに気づき、今まで憎いとか腹がたつと思っていた存在も、私を助けてくれたということに思いをいたした瞬間、涙が溢れてきた・・次の瞬間、私の右隣にそっとある存在が寄り添ってくれているのが感じられた・・・すぐにお大師様だと分かった! 本当にお大師様はいるんだという感動と共に、「同行二人」の深い意味を理解できたような気がした・・・お大師様の存在に救われたような気がした!これまたどうしたことか、先ほどまでもう歩けないと思っていたのに、疲れはどこかへ吹っとんでいったのだ(^-^;

 

 元気を取り戻し、少し先まで歩いたところで、携帯に電波が入ることに気づき、宿の主人に電話を掛けたところ、電話口で心配したよと優しく言ってくれた!宿はすぐそこだから、頑張ってと励ましてくれた(^^)この時ほど、人の優しさが胸に染みる~と思ったことはなかった(*^^*)

 

 何はともあれ、お大師様のお陰で、無事宿についた。夕飯は特別美味しく感じられた("⌒∇⌒") この日は、お大師様の現れ方にビックリし、人の優しさに感じ入り、何もかもあり難く感じられた(足に多くの血豆を作ったが、全然痛く感じられなかった)・・・

 

 この話を結婚した後、主人にしたところ、「滅多にないことだけど、「同行二人」というのは確かにあることのようだね。お大師様の魂の一部である、「教海きょうかい」様(若かりし頃のお大師様の僧名)が、縁の深い人に寄り添うことはあるようだね。あなたは過去生で「教海」様の説教をきいたことがあるようだね」と教えてくれた・・・
 

2018年12月18日 07:10

宇宙に飛び出した(?)体験

  初潮を迎えた日の出来事だった!


 朝起きたら初潮を迎えていたが、初めてのことなので、何が起きたのかがわからず、とりあえず祖母と母にそのことを報告することに!(^^)すると、祖母も母もそれはめでたいことだねと。祖母と母の言っていることがあまり理解できずに、立ちながら彼女たちの会話を聞いていたが・・・

 

 気がついたら・・・私は宇宙に浮かんでいて(母親の胎内にいるような感覚も)、眼下の青い地球を眺めていた。私は自分自身が大きな目玉になっているような感覚で、ゆっくり瞬きしながら、大きな至福感に包まれながら、地球を眺めていた・・・どれほどの時間が経ったか分からないくらい…私は筆舌に尽くしがたい至福感の中にずっとこのままいたいと…。

 

 そして我に返った時、私は元の家に戻っていて、祖母と母の会話を聞いていた。その間、彼女たちは私の変化に気づかず、ずっと話をしていたようだ(^^;私はというと、廊下に立っていたが、雲の上に立っているように感じられ、おぼつなくてよろけそうになるので、廊下を歩いて自分の部屋に戻った。この時は、文字通り雲の上をあるいている(実際歩いたことがないが、そうとしか表現ができない)感覚で、廊下にしっかり足を着地させることが出来なくて・・・何とも不思議な感覚(^^;

 

 その後数日間のことをあまり覚えていない(^^;)至福感が強すぎて、日常の出来事を覚えられなかったようだ・・・ちょうど夏休みの期間中だったので、自分の家から出ることはなかったが、立って歩くと雲の上を歩いているような感覚は数日間消えることはなかった。

 

 月日の流れと共に、私が感じたその至福感は薄れていったが、その後約10年間、何かの折にふと思い出された(^^)この体験そのものを、なぜか祖母にも母にも話せなかった。長い間、その意味を知りたいなあと思っていたが・誰に相談をしたらよいのか分からなくて・・・

 

 シンクロニシティと言っていいかどうかわからないが、日本でユング心理学の分析を始めた時に、自分の分析家(女性)にそのことを話したところ、「あら、偶然ね、ユングも病気で生死をさまよったときに、同じ体験をしていたわよ」と教えてくれた(^^;)

 

 結婚した後、主人にこの体験のことを話したら、それは多次元的な体験だねと(*^.^*)

 

 つい最近になって、「宇宙即我」「銀河即我」「多次元宇宙即我」の中の「銀河即我」の最初のステージ程度を体験したようだねと教えてくれた。ユングは「宇宙即我」までの体験をしたようだねと・・・

 

「宇宙即我」の体験をした後、自分の肉体に戻ったら、すぐに日常生活に戻れるが、「銀河即我」の体験をした後では、肉体に戻っても、日常生活に戻るまでに数日を要するようだねと主人が教えてくれた。

 

「多次元宇宙即我」の体験はどんな感じかしらと主人に聞いたら、知らん顔をしていた(^^;)

 

 ちなみに、後のアナライズで分かったが、その時の体験は、大日意識様(13次元存在。大日如来様は9次元存在)が垣間見せてくれたようだ("⌒∇⌒")
 

2018年12月17日 19:45