四国遍路 お大師様に助けられた?

 大学の親友と冗談半分で、四国の八十八か所を歩いてみたいねと言っていたが、まさか、その友人がお遍路に本当に誘ってくるとは思っていなかった。ある時、いついつ行こうよと言われ、私も軽い気持ちでいいよと応じてしまい、ほぼ準備皆無で、1週間後に初めてのお遍路に出かけた。

 

 徳島県の第一番目のお寺から順打ちで歩くことに決め、最初のお寺で、お遍路に必要な最小限のものをすべてそろえた。何もかも初めてのことで、お参りの作法もよくわからず、最初のお寺でお坊さんに丁寧に教えてもらった。各お寺で「般若心経」も一生懸命あげた・・・私たちは、大学5年生の時に、歩き遍路を始めたので、休みは多く取れず、いつも2泊3日の短期遍路をしていた。

 

 何回目のお遍路のときか忘れたが、ある時、大雨が降った翌日に、歩き遍路に出かけた。遍路ころがしで有名な難所を歩く予定だったにも関わらず、十分な下調べもせずに、山の中の宿をさっさと予約してしまった(^^;

 

 さて、入山という時に、下山してきた健脚そうな中年男性二人に遭遇し、声をかけられた。雨が降った後で、土がぬかるんでいることに加え、健脚の人でも、今の時間(午後2時半ころ)から入山し、暗くなる前に、宿につけるかどうかわからないから、引きかえした方がよいと忠告してくれた。宿を予約しているからどうしてもいかなければいけないとおじさんたちに告げ、私たちは入山した。おじさん二人は、心配そうな顔をして、「気を付けて」と言葉をかけて、私たちを見送ってくれたが、この時内心、おじさん何を言ってるんだ、私たちは足に自信があるし、歩き遍路をしてきたから大丈夫だよ。余計なお節介をしないでよねと思ってしまった(^^;

 

 ところが、入山してしばらく歩くうちに、おじさんたちの忠告が頭をよぎり、しまったと思ったが、時すでに遅し・・・ぬかるんでいる土では、思うように歩けないし、すぐに足を滑らすし・・・一生懸命歩いても、思うように距離を伸ばせない・・・でも今更引き戻せない・・・歩くしかないとあきらめて友人と二人で黙々と歩き続けた・・・

 

 気がついたら、日が暮れ(山の中では早く日が暮れるようだ)、遠くから獣の鳴き声が聞こえてきて・・・思わず身震いした(^^;宿への到着の遅れは必至。早く電話をかけて宿の主人に知らせてあげなくてはと焦るが、電波が入らないーー;

 

 足の疲れもピークに達し、もう歩けそうにない・・・精神的に限界かも!!と思いながら、歩いていたら、
「自分はなんでこんなにしんどいことをしているんだ」「もうこれ以上歩けない」・・・、自己卑下、自己憐憫、他人への攻撃や責任の擦り付けなどなど・・・歩くときは自分と向き合う時でもあって、色んな思いが心の中を駆け巡った。

 

 でも、よく考えてみると、私は多くの存在に助けられてきたんだということに気づき、今まで憎いとか腹がたつと思っていた存在も、私を助けてくれたということに思いをいたした瞬間、涙が溢れてきた・・次の瞬間、私の右隣にそっとある存在が寄り添ってくれているのが感じられた・・・すぐにお大師様だと分かった! 本当にお大師様はいるんだという感動と共に、「同行二人」の深い意味を理解できたような気がした・・・お大師様の存在に救われたような気がした!これまたどうしたことか、先ほどまでもう歩けないと思っていたのに、疲れはどこかへ吹っとんでいったのだ(^-^;

 

 元気を取り戻し、少し先まで歩いたところで、携帯に電波が入ることに気づき、宿の主人に電話を掛けたところ、電話口で心配したよと優しく言ってくれた!宿はすぐそこだから、頑張ってと励ましてくれた(^^)この時ほど、人の優しさが胸に染みる~と思ったことはなかった(*^^*)

 

 何はともあれ、お大師様のお陰で、無事宿についた。夕飯は特別美味しく感じられた("⌒∇⌒") この日は、お大師様の現れ方にビックリし、人の優しさに感じ入り、何もかもあり難く感じられた(足に多くの血豆を作ったが、全然痛く感じられなかった)・・・

 

 この話を結婚した後、主人にしたところ、「滅多にないことだけど、「同行二人」というのは確かにあることのようだね。お大師様の魂の一部である、「教海きょうかい」様(若かりし頃のお大師様の僧名)が、縁の深い人に寄り添うことはあるようだね。あなたは過去生で「教海」様の説教をきいたことがあるようだね」と教えてくれた・・・
 

2018年12月18日 07:10