グンダリーニ発現に至るまで その一

 高校生、大学生の頃から、悟りたいなぁとずっと思っていた!!

 

 悟ったら、自分の苦しみや悩みなどがすべて解決できると思い込んでいたからだ・・・(^^;悟りに至るには、具体的にどうしたらよいのかがわからず、自分なりにこれはと思える方法を試すしかなかった。

 

 *虚空蔵求聞持(聡明)法


 お大師様が入唐前に修したと言われる秘法。そのおかげもあって、青龍寺の恵果阿闍梨から真言密教の法を伝えられ、日本に真言密教をもたらしたと言われている。


 お大師様が実践された方法なら間違いないと思い、やってみたいと思ったが、本屋やネットで情報を探しても、怪しい(?)情報ばかりで・・・いくつかの本を読んだ後、何となく何をどういう風にやればよいかがわかったが、指導者がいない状況では、自分一人でやるのは怖いし、精神的におかしくなっても困るなぁと思って結局、この方法を断念した・・・

 

 お大師様は入唐前と帰国後に、この法を修したようだが、満願の時には、明けの明星が口の中に入る体験を経験されているようだ。

 

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 大学院の時、やらなければいけないことが多すぎて、このままでは疲弊して、いつまで身がもつかわからないと思って、何かいい方法はないかと模索するうちに、図書館で分厚い「臨済録」という書物に出会った!最初から読んでみたが、さっぱりわからなかった( ;∀;) 頓悟禅の書物には、悟りへ至る階梯が具体的に書かれていないからだ・・・頭で理解するのをあきらめて、参考になる部分だけを選んで読もうと思った。


 最後の方の章には、悟ったと思しきお坊さんが、「趙州」(悟ったと認められた中国の有名なお坊さん)に、「悟後」の修業について尋ねる場面が書かれていることに気づいた(^^; 興味津々で、すごい答えを期待していたが、「趙州」の答えは至ってシンプルだった・・・普通に日常生活を送ることだと・・・!!


 山や寺などに籠って座禅を組んだり、厳しい修行をしなくても、日々の生活という修業(実践?実戦?)の場で、悟りは得られるんだと気づき、その後は、自分の日々の生活を「無の境地(こういう境地だろうと当時の私が自分なりに考えた心境?)」で過ごそうと決めた。

 

 そのためもあってか、大学院時代には、なぜか不思議な体験をいっぱい経験した。例を挙げたらキリがないくらい経験した!この時期は、予知的な出来事を多く経験し、日常生活の中で整合性がつき、自分なりに納得することが多かった・・・スピリチュアル体験の記事、死生観の転換シリーズの中で、私のそれまでの「死生観」を変えてくれた体験を一つだけ例として挙げてみた。もっと面白いシンクロニシティ的な体験もあるが・・・あまり重要なことではないので、ここで割愛させていただく。

 

 こういった体験を経験したからと言って、私の悩みが減ったわけではないし、自分自身についてわかったわけでないと感じていた。だから、そういったことよりも、もっと自分自身の心の探求をしたいと思い、ユング心理学を勉強した。河合隼雄先生は、「ユング心理学と仏教」というご本を上梓されていて、スイスへ渡航する前に読んだとき、ユングの意識(個人的潜在意識、集合的潜在意識など)への探求と仏教の唯識論との間の解釈がとても興味深く、ユング心理学での解釈で、ここまで心の世界が客観的にわかるんだと、ある種の感動を覚えた。「臨済録」よりも全然わかると思った・・・ユング心理学を勉強してみようと、私なりに思ったきっかけの一つとなった。

 

 しかし、ユング心理学を勉強した後も自分が求めていたものが得られなくて・・・日本に帰国した後、数か月の間、スピリチュアルショッピングをしていた。


 
 つづく・・・

 

2018年12月21日 07:10