死生観の転換(ある患者さんとの体験を通して)そのニ

 研修病院での三年間を過ごした後、大学院生になった。その時期に、週一回勤めていた大学の関連病院(非常勤先)で診ていた末期癌患者さん(80代の男性患者さん)との間に起きた体験をきっかけに、それまでの私の「死生観」ががらりと変わった!

 

 たまたま私の外来日に、大学からの紹介状を持参し、その患者さんは受診された。紹介状を読むと、末期癌の状態であることがわかった。ご家族の強い希望により、正確な病状は本人には伝えられていなかった。患者さんご本人は、大学病院で治療を受けて病気は治っていて、後は小さい病院にしばらく通院し、養生をするつもりであることは、面談で判明した。

 

 当時の私は末期癌患者さんを見慣れてなかったので、患者さんに他の先生の外来も提案したが、私の外来に通院したいと仰って頂いた。

 

 癌の進行は予想よりも遅かったようで、患者さんは半年間、比較的元気に通院された。この間に、外来で患者さんと色んなお話をすることが出来た。その後、徐々に体力が低下し、どうやら自分は治らないのではないかと勘づいたようで、外来の帰り際にはいつも、「先生、もう僕はだめかしら」と聞かれることが多かった。心苦しかった!患者さんは高齢とはいえ、頭がしっかりしていて、自分の人生の最期の時間の過ごし方をご自分で選択できるはずなのに、そのチャンスを与えられないのは、酷いことのように感じられた。ある時、いつも付き添われているご家族の方に、「本当のことをご本人さんにお伝えさせて頂いてもよろしいでしょうか?残された時間をどのように過ごすかをご本人に決めてもらいたいです」と提案したところ、家族会議を開いて、皆の意見を聞いてから、返事をさせて欲しいとのことだった。

 

 1カ月後にご家族からお返事を頂いた。「おじいちゃんは、先生を信頼していますので、先生にお任せします」と。まもなく、患者さんに本当のことを伝えた!ところが、そういうときに限って難聴が災いしてか、ご本人さんにとってショックが大きくて聞きたくなかったのか、インフォームドコンセントがうまくいったかどうかの確信が持てなかった。

 

 その後は、外来診療の中で、言葉ではなくて、「あなたはこういう状態ですよ」と姿勢で示すことにした。安易に大丈夫という言葉も使わなくなった!ただ、彼のなるべく自宅で過ごしたいという希望はできる限りサポートするように努めた!

 

 あるとき、非常勤先に行ってみると、その患者さんは入院していた。回診の時に、涙目で「先生、畑で転んで自分で起きあがれなかった。悲しくて涙が出てきた。もう入院するしかなかった」と訴えてきた。痛々しい気持ちが伝わってきた!その後、彼が亡くなられるまで、その病院に入院した。

 

 非常勤先での診療が終わると、いつも彼の所に立ち寄った。入院当初は、世間話をすることが多かったが、いつの間にか、話をせずに二人とも窓の外を眺めるだけの日が増えた。あるとき、「先生、暗いところにいる夢をみて怖かったが、明かりが点っているところを見つけ、先生が中にいたのでそこに入った。そしたら、怖くなくなった。先生と一緒にカレーを食べた」と安堵した表情で話してくれた。

 

 あるとき、彼の病床いくと、ご本人は眠っていた。ご家族の方が付き添われていたが、「おじいちゃんは、いつも先生が来てくれるのを楽しみにしているの」と教えてくれた。

 

 つづく・・・
 

2018年12月19日 07:10